2017年03月31日

昨日から鼻の中に違和感があり、今朝鼻毛を切ったところ、
なんか縁起いいんじゃないの
ってほどすげえ長いのが収穫できました、どーもマツリ子です。
ご来店の際は是非鼻毛チェックをお願いします。指摘するもよし、野口さんみたいにククク…と楽しみ独り占めもよし。(いいの)

マツリカがどのように誕生したのか今日は語りたいと思います。

あれは2004年のお正月。
しっかしひまだなー!
そーだ店やろ!
以上です

アジアン雑貨に目覚めたのはいったいいつなのか、何度考えても分かりません。
20代半ばにはかなり好きでした。
25歳で訳あって100万円という額を手にし、数ヶ月で半分は使っちゃいました。それがすべてアジアン雑貨。

西荻窪に友達がおりまして、西荻の町をくるっと1周するとたくさんの面白い雑貨屋さんを巡ることが出来、たぶん2ヶ月に1回くらいは西荻ツアーをしていたと思います。
その中でも特にお気に入りだったのが『亜州民芸の店 夢の丘』さん。
あとバリ島のお店。

お正月に思い立ち、ネカフェで安い店舗を探し、高州にたどり着いたのが2月。
大家兼不動産屋さんとの契約の際、
「仕入れ先とか決まってるんですか?」
「はい(^^)」
にっこりと嘘をつく。

そして開店が3月14日となるのですが、当時大工さんだった弟に内装を任せ、私は問屋探しです。
まず隣の隣、綾瀬駅に降り立ちました。綾瀬にも雑貨屋さんがあったので、ピンとくるお店に入り
「春から金町で雑貨屋を始めます。仕入れ先を教えていただけますか?」。
これで何故門前払いを食らうのか未だ理解できません。
だって金町よ?
最寄り金町だけど埼玉よ?
私だったら丁寧に教えてあげるのに。
仕入れる商品も値段設定も店次第。色を出していけばお客さんは被らないはず。
勝負が怖いか、おっ?
負け犬か?(お前がな)

で、まぁ、
てな訳で門前払いを食らいに食らい、西へ西へ。吉祥寺まで行っても教えてもらうことは出来ず、
あら、どうしよー。
疲れはてて西荻に戻り、バリ島のお店で話をすると
「うちの商品卸しますよ」と。

えーいいのー?(ノ´∀`*)

今は両国の第一ホテルの前に店を構え、店名も変わりましたが、『民族館』さん。
行くと必ずバリ島のお茶を出してくれて、メンズシャツやデブでも着られる衣料品、素朴な楽器など楽しいお店です。
仕入れ先をやっと1軒確保し、駅前にあった夢の丘さんにもご報告に。
すると、
「うちも卸やりますよ?」。

・゜・(つД`)・゜・

さすが良い人ばかりの西荻!
どちらも現地仕入れのお店です。面白いモノがたくさんあります。

大きな問屋さんを知るのは開店してから。
最初はドロボー市みたいな、物がスカンスカンのお店でした。
ドロボー市しらんけど。

そんな訳で、マツリカ開店当初からお世話になっている大先輩のお店ですが、夢の丘さんは只今閉店sale中なのです。
在庫がなくなり次第閉店。
古いアジアン雑貨、特にインド好き様にはオススメです。
マツリカンで「好きそうだなぁ」って方には場所をお教えしています

昨日、夢の丘さんのオーナーさんがご来店してくれました。
アンパンマンみたいな優しいお顔のおじさんです。キャラ的にはジャムおじさんですが、アンパンマンです。
開店祝いの品と、マツリ子大好物のバームクーヘン。
あ、デフリ子って改名しときますか!

じいさん(父親)のお葬式を境にしたその以前が紀元前か?ってくらい記憶がないのですが、
行くと三方六(北海道のチョコレートでコーティングされたバームクーヘン)をわざわざ用意していてくれて、とにかく夢の丘さんに行くと毎回異常にテンションがあがっていました。
体調不良でしばらく仕入れに行けていないのですが、近いうちにいざ参らん!

年に何回かしか行けないお店ですが、夢の丘さんがなくなっちゃったらあたいの魂は宙をさ迷うな…。
さっき掃除機かけながらそう思いました。

命の限りについて改めて考えます。
人、物、店。
たまに、
わんこのシェルター的な場所で働こうかなー、などと、己の年齢を置いてきぼりに考えます。

大先輩から受け継いだ品がたくさんあるこのマツリカを、
この場所を空間を

1日でも長く続けていかねば。
そう気を引き閉めた次第です。

どうせ3年でつぶれるわ
って始めたのにね。
人生って不思議。


*夢の丘さん情報*

 13:00~17:00頃まで、18:30頃~20:00頃まで(木曜定休)
第2・3火曜、第2水曜は、13:00~15:00頃まで、18:30頃~20:00頃まで
(20:00の時点でお客様がいる場合は、最大22:00まで営業します。)
(事情により18:30以降の営業をお休みすることがあるかも知れません。)

※(現在西荻から移転してます)  墨田区業平2-12-5 山猫ビル
 押上駅B2出口から徒歩3分
 興味ある方はマツリ子まで。
※Facebookページあります。




 





Matulikomatulika33 at 15:42│コメント(0)トラックバック(0)

2017年03月25日

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お化粧完了、無事オープン★から10日以上、
まだまだ新店舗に慣れない どーもマツリ子です。
順応性に欠けるこの厄介な性格はママンのお腹の中で形成されました (*´ω`*)

マツリカンが毎日ご来店してくれます!
基本1日1組。
いやいや、これすごいことなのですよ。金町に移転した際は、集まってくれたのは小学生だけ。来る日も来る日も小学生だけ!(笑)
本当に1からやり直しでした。
それがどうしたことでしょう!

細長い私道のいちばん奥。
徒歩70歩(←数えた)
住人であるマツリ子がいまだ少しドキドキする道のりを悠々と(徒歩)、颯爽と(チャリ)
たどり着いてくれるのです。
もうね、喉乾いたらお立ち寄り下さいましよ。大量購入したハーブティーが冬はあったか、夏は冷え冷えでお待ちしております。

でね?
ひとつ…、こほん。

金町店に毎日のように来てくれていたマダムが、場所は分かっているハズなのになかなかいらっしゃらない。
昨日やっとご来店してくれましたところ…
開店前に場所確認のために私道に入ったらばばあに睨まれたらしいのです。

こんなことホントは言いたくないのですが、
私道の中には11軒もお宅があります。
バカもいるでしょう。
引っ越しの際、開店するにあたり、
都度都度可愛いタオルや美味しい焼き菓子を配って頭を下げてまわりました。
全員『分かりました』と受け取ってくれています。
気の強いマツリカン、いらっしゃいますでしょうか?
はい、挙手!
睨まれたら「てめえ菓子くっただろ!」って言っちゃって構いません。
そんなバカ相手に近所付き合いなどクソ食らえだ。
大切にしたいのはマツリカン。
近所付き合いは付帯です。
13年間変わらぬスタンス。

とりあえず今のところ、


駐輪場は↑こんな感じでお願いします★

街中で誰かと目があった時、 ニヤっとすると怪訝な顔をされるのですが、睨むような人間にはなりたくないので良しとします。
てか、睨むって何?
は?ティーンネイジャー?
切れたナイフ?(by 出川哲朗・爆)

とりあえずマツリカにたどり着いたらのんびり楽しんで下さい。
お茶とイスも用意してありまする!



Matulikomatulika33 at 13:48│コメント(2)トラックバック(0)

2017年03月11日

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お久しぶりです!
寝てた訳ぢゃないかんね!の、どーもマツリ子です(*´∀`*)ノ
1月末の引っ越しで腰をやり、接骨院通いながら什器の設置(画像1)&確定申告。
荷物をバラし始めたら収拾がつかなくなり(画像2・泣)、
癇癪起こしてはシクシク泣くを繰り返し、やっと14日リオープンとなります!
これ、お気づきのマツリカンはいないと思うけど、13年前の高州MATULIKAオギャーDAYと同じ日なのですよ。
あの日、
それまで接客業の経験がなく、開店を迎えてから
あれ?お客さん来たら、

…どうしよー!!!

超パニクった!(笑)
結局向かいの八百屋の娘さん以外ご来店はなく、淋しいよりもホッとしたのを覚えてます。

13年使った看板は、風雨にさらされた金町9年半でボロボロになり、バッキバキにして燃えるゴミの日に出しました(笑)
今作り直しているところでございまする

最初に主役のお月様を描いたのですが、
ややっ!?
髭男爵!!


分かるかな??
百均の筆は毛が抜ける抜ける!
今度のMATULIKAさんはヒゲ生えてます★

水元MATULIKA、
商品を設置し後はひたすらお化粧を施すのみ! 地味過ぎる座り作業で肩ぱんぱんス&柔らかなオレンジ色の照明で物が見にくい!
老眼マツリ子ツラいところ!(笑)(笑)

リオープンにお花はいらないよ?
これ、振りじゃないよ?
だってお花は食えないぢゃん(*´ω`*)



Matulikomatulika33 at 00:51│コメント(2)トラックバック(0)

2017年01月30日

29日(日)に引っ越しが完了、今日30日は不動産屋さんに鍵を返してきました。
「9年半、お世話になりました!」
「あら、そんなに?」
…ホントあっという間だったなぁ。
どーもマツリ子です。
お店、こんなに広かったんだよー!
って写メ撮ってきましたが、
あれ、うまく伝わらないかな??


撮りながら、
あ、ここはもうMATULIKAじゃないや。
そう気づきました。
金町に居場所がなくなり、公園でしょんぼりコンビニのおにぎり食べたりして、
そんな徘徊マツリ子を見かけたら珍来でラーメンおごって下さい。喜んでご馳走になる所存です(゜∀゜)

去年、金町MATULIKAからのマツリカンに
「優しい顔になりましたね」
そう言われました。
リオープン当初は大学生だった彼も30歳。新婚さんだったので幸せを振りまいてるだけか、と思いました。
年末、高州MATULIKAからのマツリカンに
「優しい顔になったー。いい感じ」と。

あれ?
2人に言われたってことは本物かもしれぬ。

それでマツリ子、考えたのですよ。

確かに高州MATULIKAの頃はゆるかった。
雨が降ったら人間眠くなるのでお店もお休み。
人間だって動物だもの。マツを。
なんつって。
癒やしの音楽を流し、お香を焚き、入店したらそこは異空間。

金町にリオープンしてから、…なんか躍起になってた。
マッシュ店長の介護に始まり、ママちゃん、じいさん。
よっしゃ、イケるイケる!
勢いと気力で突き進んできましたが、多分ゆとりなど忘れていた。

ココロノ ユトリヲ ゴテイキョウ

これが出来ていなかった。

高州ではマツリカンがゆっくりゆっくり店内を見て歩き、楽しんで遊んでくれました。1時間くらいは当たり前。
遊べるPOPをマツリ子も細かく書いていて、それを笑ってくれるマツリカンがいて。

あの頃に戻ろうじゃないか。
そう思います。



まだ↑こんなんだけどね。
カメっちハテナ顔で起きちゃったけどね。

マツリ子がまず楽しんで、楽しく居心地の良い場所をのんびり作ります



Matulikomatulika33 at 22:07│コメント(4)トラックバック(0)

2017年01月23日

スマホが重く、頭にきて鉄拳くれてます、どーもマツリ子です。
ちっ。
くそっ!くそっ!

1月22日。
穏やかに晴れた今日はじいさん(父)の三回忌でした。
丸2年。

お坊様がお経をあげている時にぼんやり塔婆を眺めていました。
あの墓石の裏に立てる長い板。
そこにじいさんの戒名があります。
『仁徳覺照』

じいさんは17歳だか18歳の時に茨城の山奥から千円だけ持って頼る人もいない東京に出てきました。
大工職人として寝る間も惜しんで働き、ママちゃんとお見合いをした10年後、万券を持ってデートをするほどになり、家族を養い、子供3人とも私立の中学に通わせ、アパートを作り、都内に130坪という敷地、そして立派な家を残し、
77歳で天国に旅立ちました。

『仁』
これは仏教ではもっとも位の高い字だそうです。
『徳』
たくさんの財産を築きました。
それは『仁』、人徳があったからこその『徳』。
『覺』
じいさんの名前です。
『照』
亡くなってもあの世からみんなを明るく照らしてくれてます。

ママちゃんが亡くなった夜、セレモニーセンターにじいさん、弟、マツリ子が並び、様々な打ち合わせをしました。
「どうする?」って、いちいちじいさんが聞いてくれたので、
「遺影の回りはお母さんの好きだった藤色」とか、
「遺影の背景は山登りが好きだったから山」とか、
すべてマツリ子が決めました。
戒名の話になった時、じいさんは「いっか?」弟も「うん、いらないよ」と言いました。が、
「いる!戒名いるよ!」。
戒名をつけていただくにも金銭が発生します。
それでも何故だろう。
戒名は絶対欲しかったんです。
ママちゃんがどんな人だったか、お坊様からの電話に応対したのはじいさんで、じいさんはママちゃんの介護を大変だ大変だと言っていたので心配だったのですが、
『清妙和蓮』
清く妙たる『和』はママちゃんの名前、『蓮』は蓮の上で微笑む観音様です。
とてもキレイな戒名をいただきました。
ママちゃんのこと、じいさんはちゃんと話してくれたんだと思いました。

じいさんが亡くなる最期の2ヶ月、ICUで過ごした2ヶ月、毎日が辛そうで苦しそうで、
じいさんは私の前でだけ幼児のように泣いたから。
毎日ICUに通い、弟にある時話しました。

肺炎が治らないならお姉ちゃんの肺を1つあげようと思うの。

白血球の数値が医者も驚くほど右肩上がりに高くなり、苦しみを和らげるために眠らせていた日もありました。

そんな状態で手術なんかできっこない。

そう気づいたのは実は最近です。
担当医が手術中で不在だった日、外科部長から「覚悟しておいて下さい」と言われました。
「肺が1個でも生きられますよね? 私の肺を父に移植して下さい!」
手術に耐える体力が残っていません、と外科部長は首を振りました。

ボロボロと泣き崩れながら、頭で納得し、心では出来ていなかった。
なんでよっ!?
ってずっと思ってた。

じいさんが亡くなって丸2年。

何故私は未だ仏壇の中にある写真に泣くのだろう。

湯船につかりながら、じいさんの一生をぼんやり考えました。
結婚式の時の白黒写真が浮かんできました。
キラキラと輝く瞳の青年でした。
アフリカの子供たちのようにキラキラと。

そこで涙が溢れてきました。

体調を崩し、気力もなくし、でも私は77歳の未来を諦めていなかった。
生きる希望にキラキラしたじいさんに戻ってほしかった。
希望を奪ったのは独りぼっちにさせてしまった私だというのに、
いや、私だからこそ。
じいさんにキラキラを取り戻してあげたかったんだ。

じいさんが亡くなり病院を後にする時、担当医にお礼を言いました。
心臓専門の病院でした。心臓の手術をした後に肺炎になりました。が、どこの病院も受け入れてくれず、あれこれ手を尽くしてくれました。
「ありがとうございました。先生が担当で良かったです。ただ…」

悔しい…!!

魂の叫びのように口にしていました。

2年経った今でも、私は悔しいんだと思います。
多分ずっと、きっと死ぬまで悔しい。


Matulikomatulika33 at 00:41│コメント(0)トラックバック(0)