2010年09月

2010年09月25日

「デイサービスで歌うの?」と聞くと
「自分で作ったの! ♪がんばりまーしょーおー!」。
ずっと苦しかったんだと思う。マツリ子に付き合って出掛けてくれてたんだと思う。父親を気遣ってデイサービスに通ってたんだと思う。
最後の夜、大汗かきながらママちゃんの着替えをしていたマツリ子に、
「えいこ頑張れ! えいこ頑張れ!」と声援をくれた。
いつでも自分に出来る精一杯のことをしていたママちゃんは、イチローの偉業よりもすごいと思う。立派だと思う。胸をはって誇れる立派なお母さんだと思う。
「えいちゃんが好きなんだよ!」と泣きながら言ってくれた。
お別れが悲しかったんだね。でもお別れしてないよね?
お母さん一緒にいてくれてる。美味しいものを食べる時、きれいな夕陽を見る時、ずっと一緒だ。

それでも。
声を大にして大勢の人に言いたい。

『生きてるだけで丸儲け!』

みんな生きてるだけで丸儲けなんだよ、と。

ママちゃんのこと心配してくれてありがとうございました。
ママちゃん弟に言っていたそうです。
「えいちゃんそそっかしいけど怒らないでやってね」と。
本当にボケてますが今後ともよろペコッ!



Matulikomatulika33 at 00:37│コメント(0)トラックバック(0)
そうしてやっとママちゃんは家に帰ってきた。
警察の倉庫で検死が行われ、それから何日もセレモニーセンターの安置室で寒い想いをしていた。
ママちゃんの死を発見してから狂ったように泣き叫んで過ごしたマツリ子。もっともっと一緒に出掛けたかった。一緒にいたかった。
そんなワガママから涙が止まらなかったのだが今は淋しくない。
「やっと帰ってきた」
そんな気がして嬉しくてしょうがない。

光速の車イスでカラオケに行ったね。800円カットに行ったね。美味しいばらちらしを食べたね。整体にも行ったね。
大通りを斜めに横切ったり信号無視するマツリ子を心配してたけど、ママちゃんの体力が奪われないよう最短のコースと日陰を選んでたんだよ。
車で行ったのはプラネタリウム。とても感動してたね。あとは何十年ぶりかの生家、近所のファミリー温泉。
デイサービスの納涼祭ではマツリ子のリクエストに応え、水風船のヨーヨーを取ってきてくれた。駄菓子の詰め合わせと巾着と、景品をたくさん持って帰ってきてくれた。
ありがとう
ありがとう。
何度言っても足りない。
「♪がんばりまーしょーおー!」
お母さんの歌声が時折聞こえてくる。



Matulikomatulika33 at 00:30│コメント(0)トラックバック(0)
人は自分の死期が分かると言う。
父親とマツリ子と弟の名前を叫び「頼む!」と言った意味が分からなかった。「苦しいんだよ…」と初めて弱音を吐いたというのに。

9月21日(火)。
告別式は奇しくもママちゃんの誕生日だった。
疎遠だった親戚、4年ぶりに会いに来たマツリ子姉一家。
ママちゃんの姉妹や子供や孫、ママちゃんの死を惜しむ人が勢揃いし、たくさんの花に囲まれ、大好きな藤色の額の中でママちゃんは笑ってた。
『清妙和蓮』という綺麗な戒名もいただきママちゃんの人生で最高の誕生会になったと思う。
火葬の際は懸命に祈った。
「熱くありませんように! 熱くありませんように! 熱くありませんように!」。
お坊様のお経とマツリカンの想いも届き多分熱くなかった。何故だかそう言い切れる。
骨を拾う時にママちゃんは焼き場の人に誉められた。
「これは50代のしかも男性の骨ですね」
立派な足の骨が見事に残っていて、いちばん大きな骨壺を用意してもらってもギューギューだった。
頭蓋骨で何が分かるのかは謎のままだが、
「自分のことよりも他人のこと。家族を大切に想っていた人ですね」とも言われた。


Matulikomatulika33 at 00:15│コメント(0)トラックバック(0)
うっすらと笑ったまま、ママちゃんは1人雲の上のハイキングに出掛けてしまった。

皮膚や内臓が少しずつ固まってしまう難病だった。その病気からくる肺の病気をも患い、普通の人の4分の1しか肺が機能していなかった。そしてチューブで鼻から酸素を補う『在宅酸素療法』が始まり、外出時も酸素ボンベを転がして歩いた。
心臓に負担がかかって肥大化し、頭が酸欠で認知症になり…。
ママちゃんは何十年もたくさんたくさん怖い想いをしてきた。

「まだ生きたいよ!」と泣いた。「もうどうにかして!」と訴えた。自分の名前と年齢を叫んだ後に「…もうウンコもオシッコもしたよ?」とベソかいた。父親が薬を取りに行ったと知ると「その薬のんで死ぬの?」と不安な顔をした。
「36度8分で死ぬ人はいないよ」
そう笑うと腑に落ちない顔でワガママを言い始めた。
「おーい お茶!」と5分おきにお茶を要求したり、わざとベッドから落ちそうになったり。
「わかった! お母さん構ってもらいたいだけだね?」と突っ込むと「うん」と頷いた。


Matulikomatulika33 at 00:06│コメント(0)トラックバック(0)

2010年09月24日

マツリ子がママちゃんの肉座椅子になると、ガタガタと震える手で必死にご飯を食べた。何度も何度も箸を落としながら力を振り絞って食べ、飲み込んだ。
空腹だった訳じゃない。生きる為に必死だったのだと思う。
夕飯後の薬を飲ませ、たくさん汗をかいたパジャマと下着を変えた。変えながら蒸しタオルで体を拭いた。
「この異常気象の猛暑を乗り越えたんだから長生きするよ~」と言うと嬉しそうな顔をした。
早く寝かせてあげたくて、7時半に就寝前の薬を飲ませた。
「はい、よく頑張りました。今日はもうおしまい。ゆっくり寝ていいよ」
そう言って頭をなでると10分もしないうちに目は宙を泳いだ。
汗をびっしょりかきながら手を動かしたり嬉しそうに笑ったり、大きなアクビをしたり。汗を拭いてあげる度「ありがとう」と、声にならない声でお礼を言った。
そうすること1時間半、9時頃ようやく眠りについた。後から思えば昏睡状態だったと思う。
生きてる死体のようになったママちゃんが怖かったが呼吸はしていた。緊急事態があるとすれば心臓発作か窒息。
瞬きもせずママちゃんを見守った。
そしてそのまま…


Matulikomatulika33 at 23:53│コメント(0)トラックバック(0)