2015年01月

2015年01月29日

賞味期限21日までの豆腐をさっき夕飯に食べました。のど風邪がひどいので味については分かりません。
夕飯を食べただけ立派です。

やらなくちゃいけないことはあるみたいなんだけど、頭が回らない。
体も動かない。
じいさんが天使になる前夜に38℃代の熱が出て、それから今に至ります。
少しは労ってゆっくり歩きやがれ、と弟に言いたい。

火葬を終えて会食の時、
得意の笑顔で御酌をしてまわる姉と弟。従兄弟や叔父さん・叔母さんなんだから手酌で飲めや。
じいさんの仕事仲間にだけ御酌して、話をして、
そしたら茨城にお住まいの従兄弟の兄ちゃんに
「なんだ、マツリ子はもさぁ~っとして」
と笑われた。

…もさぁ~?
方言かしら?

葬儀の翌日、リフレッシュしに(!)ジムで汗を流す(!)弟の帰りを待っている間、アルバムを少し整理した。20冊以上あるうちの6冊。
マツリ子2歳くらい~小学生まで。
どの写真も、笑うでも泣くでもなく、機嫌が良くも悪くもなく、

「…もさぁ~っとしてんなぁ」。

自分でも言っちゃった。


     ↑
  まだ表情あるほう。
(ウルトラの母みたいのは姉)

もさぁ~としてます。
多分人生でいちばん、もさぁ~としてます。たまに発作的に泣き出します。

マツリカ、31日から営業するつもりでいたのですが、31日は姉と姪が夕方来るらしい。いつも家族の皆さんに忘れられているんだけど、あたしも仕事してんだよね。
まぁいーや。きっと当分もさぁ~だし。

なるべく楽して生きようと思います。
生きてるだけで頑張っちゃってるので、なるべく楽に。

明日は雪の予報。
ひとりでお汁粉食べようかな。

雪が溶けて外に出て、たまたまマツリカ開いてたら

もっさぁ~~~!

見に寄って下さいな。



じいさん、
楽しかった?
じいさんの人生は楽しかった?
世間じゃ斧持った女子大生の心の闇がなんちゃら、って騒いでるよ。
19歳ってギリギリの年齢がダサッ!

あら、
…鼻血でてきた。



Matulikomatulika33 at 21:08│コメント(0)トラックバック(0)

2015年01月25日

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お父さんへ。

物事を白黒つけてはっきり口にするタイプだから誤解されることも多かったけれど、とてもあったかい人でした。
厳しい父親でもあったけれど、イチゴを食べる時はいつでも食べやすいようにスプーンでつぶしてくれました。私たちがかなり大きくなってからも、「つぶしてやるか?」と聞いてくれたよね?

お母さんが初めて長期入院した時、姉は中学1年生、私は小学4年生、弟はまだ幼稚園児でした。
あの時の強烈な思い出は、遠足のお弁当。張り切ってたくさん作ってくれたのに食べきれず残して帰ってきてしまい、泣きながらお父さんに「ごめんなさい」って謝りました。うまく言い表せないけれど、お母さんがいなくて淋しいだろうと、一生懸命なお父さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだったことは確かです。泣き顔の私をお父さんは明るく笑い飛ばしてくれました。
仕事をしながらご飯を作ってくれたり洗濯をしたり、お母さんの病院へも頻繁に面会に行き…。
そんな忙しい毎日なのに、私がお腹が痛いと言うと治るまでずっとさすってくれたよね?
あの時の大きくて優しい手を、私は今でも覚えています。

お母さんの介護を2人で交替しながらやりぬき、気づけばすっかり小さくなっていたお父さん。
好きな日本蕎麦屋で昼間からもつ煮をつまみに熱燗で乾杯し、その後は美味しいコーヒーを飲んで楽しかったね。でも、「じゃあね」って帰って行く独りぼっちの背中はとても切なかった。
明るく楽しい雰囲気が好きなのに、大きな家に独りきりで生活させちゃってごめんなさい。
人一倍ガッツのある人だから無理させちゃったんだね。
感染症で40日も入院した後に前立腺の手術。休む間もなく9時間半にも及ぶ大動脈瘤の手術。痩せ細った77歳の体に「これでもか」ってほど鞭打って、だけどそれも乗り越えたお父さん。
2ヶ月にも及ぶ肺炎との戦いは、私に『生きることの何たるか』を教えてくれました。
だけど、だからこそ悔しい!
本当に悔しいです!
お父さんも同じ気持ちだったと思います。
「なにくそ!負けてなるか!」。
きっとそう思い続けていたのだと思います。

最期の時が迫ってきた時…。
職場から駆け付ける弟を待っていた時。
呼吸が大きく乱れ、今にも心臓が止まりそうになり、私は初めて「お父さん頑張って!」と言いました。「頑張って、頑張って!」と繰り返しました。弟が来るまで逝かないでほしかった。
そうして最期の最期まで無理をさせてしまったけれど、兄弟3人で看取ることができ幸せでした。
イチゴをつぶしてもらう順番を待っていた、小さかったお父さんの子供3人。
常に120%の力で生き抜いたお父さんを私たちは誇りに思います。

いつものバッグを斜め掛けし、いつものキャップをかぶり、これからは好きなところへ自由に飛んでいって下さいね。

お父さん、ありがとう!



※マツリカンの皆様、ありがとうございました。
 こんな手紙を式の中で読んでもらおうかな?と思っています。
 


Matulikomatulika33 at 23:07│コメント(2)トラックバック(0)

2015年01月22日

昨日、病院の部長って人が説明してくれた。

肺が機能していない。
酸素を取り込んで二酸化炭素を出す、それが逆になってる状態。
人工呼吸器を使ってても本人は苦しい。

今日、じいさんの弟にあたる叔父さんが面会に来てくれた。
呼吸荒く、一秒一秒が苦しい状態で、

こいつらを頼む!

じいさんは確かに叔父さんに何度も訴えていた。
涙が止まらない私と弟。
情けないこいつらを頼む!
そう、何度も。
一生懸命に。

お父さん、
お父さんはすごい。
絶対誰にも真似できない。
すごい!


Matulikomatulika33 at 20:32│コメント(2)トラックバック(0)
普通5000~8000、
インフルエンザとかになると12,000くらい。
1ヶ月前にじいさんの心臓が止まった時、2万代。

大きな大学病院の呼吸器内科と同じ治療をしても、じいさんの肺炎は良くならない。悪くなるばかり。

いま白血球の数、4万超えてます。
それは、
それだけじいさんが戦ってるって証拠。
4万超えてても意識がはっきりしてる。生きようと必死に目を見開いてる。
そんな人は、
大きな大学病院の呼吸器内科でも1年に1人いるかいないか、だそう。

じいさん頑張ってる。
苦しいって訴えながら頑張ってる。

私の肺を一つあげようと思ったんだけど、その手術に耐える体力はじいさんにはないって。

何も出来ない。
アロママッサージするだけ。
何も出来ない。
奇跡を祈るだけ。


Matulikomatulika33 at 15:50│コメント(2)トラックバック(0)

2015年01月21日

じいさんの面会にきたら、

肺の状態が悪くなり、急に血圧が下がって…
ということもあります。覚悟しておいて下さい

そう言われました。

マツリカお休みが長くなります。
あきらめない
あきらめちゃいけない
苦しんできた時間がチャラになるなんて可哀相すぎる!

あきらめちゃいけない!


Matulikomatulika33 at 19:22│コメント(0)トラックバック(0)