2017年11月

2017年11月29日

3年前の今日。

朝8時くらいに予約しておいたタクシーが迎えに来てくれて、じいさんと堀切にある心臓専門の病院へ向かいました。

どうにも疲れちゃってテンションがあがらない私をたぶん気づかって、
「ユニクロのダウンベストが欲しいんだ」
じいさんは楽しげに話しました。
返事の代わりにオンラインショップでベストを見つけ、
「こんな感じだよ?」ってスマホの画面を見せると、
「ああ、いいじゃない?」って、
近いうちにユニクロ行こう、アリオがいいな、またタクシーで、
って、
私もじいさんも、とっとと病院終わらせて、帰って一緒にお昼を食べるつもりでいました。

診察室に入った2時間後、
じいさんはシャンプーハットみたいの被せられて、私は執刀医から手術の説明を聞いていて。

こんな場合は亡くなります。
こんな場合も亡くなります。
こんな…

緊急手術は亡くなる可能性の方が高く思えました。
たくさんの『こんな場合』を聞いているうちに涙がボロボロ溢れてきて、
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの私に、
「では、お父さんとお話し下さい」って言う。
そこには確実に『最後に』って言葉が隠されてる。

「お前には迷惑ばかりかけたな」

横になったまま穏やかにじいさんが言うのです。
迷惑なんかじゃないよ。
キツい毎日だけど、決して迷惑なんかじゃない。

言葉にならなくて、顔をぶんぶん振りました。
でも、
3年前は、春からずっと体調最悪で、長く入院もしたし、救急車にもお世話になったし、前立腺の手術もした。

もういいよ、もう勘弁して。

「これで最後にしよう。あとは健康になるだけだね」

それだけやっと言葉に出来ました。

9時間半におよぶ大手術。
ICUに戻って安心したその夜の容体急変。
ふたたび開胸し、
数日後に胸をとじる手術。
メンタルの薬を忘れずに飲ませて下さい、って話が主治医に通じておらず、幻覚に怯えるじいさん。
暴れるからって両手をベッドに固定されました。
肺炎をおこし、水を飲ませてもらえない。口を湿らす程度の水分も、いつしか無くなり。
喉に穴を開け、そこから酸素を送り、
そうして2ヶ月。

耐えられますか?

動けない、
喉はカラカラなのに水も飲めない、
痛い、苦しい、
そして、
自ら死ぬこともできない。

そんな地獄、耐えられますか?

毎日面会に行き、行く度じいさんが泣くんです。
私と2人の時だけ泣くんです。
それは幼児の泣き顔のようで、

痛いよ、苦しいよ、助けてよ、

って、
泣くんです。

「大丈夫よー、良くなるよー」って、殺菌作用のあるアロマクリームで手足をマッサージし、
じいさんに見えないところで私も泣いた。毎日泣いた。

クリニックから紹介状を持たされた時、
「手術も入院も、もうやだな」
息を吐くようにじいさんは言いました。
それに何かを答えた訳じゃないのに、
何故じいさんは手術を受けたのか。

白血球の数が、普通8000、インフルで12000、
2万を超えた頃、一度心臓は止まりましたが、幸か不幸か心臓専門の病院。生き返らされてしまいます。
手術中の主治医に代わり、外科部長さんて方から
「覚悟しておいて下さい」
そう言われた時は白血球4万。
翌日駆けつけてくれた埼玉の叔父さん、弟、そして私に、
主治医は言いました。

「生きているのが不思議なくらいです。
本人はかなりつらいと思います。
今度心臓が弱った時、どうしますか?」

もう、いいです。

「可哀想で見てらんね」って、叔父さんは言いました。

話の後にじいさんに会いに行くと、荒く息をしながら、じいさんは必死に叔父さんに何かを訴えていました。
口をパクパクさせ、目を見開いて何度も何度も。
それは、傍らでずっと泣いている私と弟を、

こいつらを頼む!

そう言ってました。

私はじいさんの未来をあきらめていなかった。
77歳だって、生きている限り未来はある。77歳だからもういい、じゃなく、77歳だって少しでも笑って少しでも楽しんで、幸せな日々を送ってもらいたい。
だから外科部長さんに「覚悟しておいて下さい」と言われた時も、
肺炎が治らないなら私の肺を1つ使って下さい! 手術、お願いします!
そんな言葉が出たんだと思う。
息絶え絶えの老人がそんな手術に耐えられる訳がない、って、今なら分かる。

私があきらめなかった未来に、じいさんも乗ってくれたんだと思います。
亡くなって出てきた言葉が『悔しい!』だった私のために、じいさんは2ヶ月も頑張ってくれたんだと思います。

可哀想なのと、懺悔と、
いるハズだった今にじいさんがいない悔しさと、
そんなのがごっちゃになって、3年経った今でもしゃくりあげることがあります。


今朝、
夢を見ました。

じいさんと、ママちゃん。
「ここに住むんだ!」って、じいさんが得意気に言います。
それは、
あの日差しのまぶしさは、小さい頃よく連れていってもらった、南房総の布良の海。
そこに建つ自立型の老人ホームかな。いやマンションかな。
どれどれ、って心配で見に行くと、
寝室と、じいさんの部屋と、ママちゃんの部屋と、居間とキッチンと、
あといちばん日当たりの良い部屋がじいさんの事務所になっていました。
居間の隣で、そこからTVも見られる場所に社長椅子みたいな豪華な椅子が置いてある。
大きな窓の向こう側がキラキラとまぶしいのは、きっと波だ。

今までのじいさんの事務所といったら、1階の隅っこの、家族の誰もいかない暗い部屋。

そっか、じいさんこんな事務所が欲しかったんだ。

弟が何やら言いました。
内容は聞こえなかったのですが、じいさんははっきりと弟を遮りました。

「ダメだ。ここは俺とばあさん、2人の家だ」って。

あまりにぽっかぽかな場所だったから、

たまには…
泊まりにくるくらい…

なんて、
ニヤニヤしたまま目が覚めた。


※暇で暇でしょうがない、って方は、3年前の記事をご覧下さい。


Matulikomatulika33 at 14:02│コメント(4)

2017年11月26日

友達がTwitterでブラックフライデーを
『黒光りしたメンズのタマタマ』
みたいに言っていたので、
そうか、またクソめんどくさいイベントか。かぼちゃ祭り 再びだな!

おのれ~!!

なんて、
全然思ってもいなかった←忘れてた昨日、土曜日、
ママさんマツリカンがご来店し、GAPとかすごかったんだよー!
って教えてくれました。

「セーター100円!」

コンマ3秒くらい思考が止まり、なんの話をしていたのか飛び、
「100円」という響きだけに
「え、アウトレットですか?」と聞いてみたのですが、
なんかやはり違うようで。

先ほど軽くググると、
今度はクロックスが○○サンデーだか?
サイバーサンデー?
あ、違う、サイバーマンデーだ!

なにそれ、
なんかこわいんスけど
月曜日にネットウィルスが蔓延しますよ。
くわばらくわばら。
  ↑
イメージ。


私ね、
安けりゃいいってもんじゃないと思うのですよ。
あきんど魂抜きのお話ですが、
物には最低○○円てのがそれぞれあると思う。
それは、その素材になっている植物の命に始まり、加工した職人さんや商品に仕上げた職人さんの、そこにかけた時間代。
流通はさておき、せめてその額はお支払いしないと、『物』が可哀想。

だからセーター100円てのは、
私は全然嬉しくない。
せめて千円だよね。

って思いながらGAPのセールをググったところ、



なにこの柄、100円でもいらねー!!
(ノ`皿´)ノ~┻━┻

私の中にこの色柄はない!
TVの放送終了後に出てくる、砂嵐の前のカラフルなボーダー画面、
あれ以下なんスけど。
良かれと購入した方には申し訳ないけど、

ごめん、気分悪い!

きっとアレだ、
なんか追い詰められたデザイナーさんがいて、なかなか上にOKもらえない会議があり、
気が触れて提出したのがコレだ!

これだよ、ちみー
これがわが社の色だよ、ハハハ!

って満足した社長さんは、
たぶん白内障です。
手術で良くなるからちゃちゃっと治してきて下さい。


マツリカは
 Every day Sunday



トイレでお香を焚くと芳香剤いらずです。
bicのサンダルウッド(白檀)・コーン香100円は、
残3個なり~


※ Every day Sunday←お客さんこねーな、って意味もある



Matulikomatulika33 at 14:35│コメント(2)

2017年11月24日

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あ、こんにちはー!(*´∀`)ノ

って普通に鼻たれたまま笑ってますから、どーもマツリ子です、ずすっ。

冷えすぎの体を温めるのは大根入りカレーだよね
ってことで昨夜は閉店後にサイダーバに行ってきました!
チキンカレー(750円)に大根トッピング(100円)、
ちょっとした洗面器大のお皿で出されるとそれだけで体力MAXまで補充されます(←ゲーム風)

インドに住むママの叔母さん 82歳が、

ベビーシッターの仕事をしているらしい。



またママ、日本語とんちんかん!!(笑)


…どうやら本当らしいです。
アラシクスティ(?)のママが杖をついて歩いていると知り、

なんでー?

笑われたそうです。

いや、逆に叔母さんアンタがなんでよ??



ひらめいて聞いてみました!

「…ヨガやってる?」

「えー?」
ママが大きな瞳をチラリと横にスライドさせ、
「やってるよぅ? おばぁちゃんみんな集まって公園でヨガ毎日やるよぅ?」

それだ!!

とともに、

くっそー、鶴太郎めっ!!

なんか悔しい。
鶴太郎はにせ物であってほしかったのに、まさか鶴太郎の定義がママの口から立証されるとは!


という訳で、
元気に過ごしたいならヨガをやれ。

「ママ足わるいもぉん、動けたらママだってやるよぅ?」
「私も店がお家だから1日に外10歩くらいしか歩かないなー」
  ↑
ダメダメの会話(笑)


12月になったらまたサイダーバ300円オフチラシを配りまーす!
おったのしみにー!



Matulikomatulika33 at 13:39│コメント(2)

2017年11月21日

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ママちゃんの後ろ姿だけを見て、自転車で必死に付いていった先は、人で溢れる商店街から少し脇道に入った『ビビッド』という雑貨屋さんでした。

たしかまだ40歳くらいの、ちょっとお洒落を楽しみたいウキウキなママちゃんは、

「荷物見てて」

小さな店に自分だけ入り、私は自転車に股がったまま、ママちゃんの自転車の見張り番。
外からその店を眺めておりました。

陶器で出来たなめらかな白馬の置物。
ゴールド色のキラキラしたアクセサリー。
小洒落たハンドバッグ。

コンパクトにまとまった綺麗な店内は欧風雑貨屋さんというイメージで、小学生にはその良さがまるで分からん。

何かを注文していたのか、ほんの5分程でママちゃんは嬉しそうに紙袋を手に出てくるのでした。

そんな思い出が数回あります。

高級なブランド品はないけれど、中に数点、上質なお洒落雑貨があるお店。
いつだか姉もそこで腕時計を買ってもらっていた気がします。

もう何年前だろう。
ビビッドは商店街を離れ、原田小学校の正門向かいに移転しました。
生活道路の、しかも黄色い帽子の小学生で賑やかな通り。
隣のスナックよりは浮いていないけれど、
そこは文房具屋さんか駄菓子屋さんだよね?
って場所でした。
ちょうど金町マツリカの裏に当たる場所で、
前を通る時は懐かしく眺めておりました。

透明ビニールから出さずにバッグを飾るあたり、
あーやっぱりなかなか売れないんだろうな。
あの手でうちも劣化を防ごうかな。
などと参考にしたもんです。

満開の桜と、道路が淡いピンクの絨毯と化した春、
子供たちがプールのバッグをぶら下げて通う夏、枯葉舞う秋、いつまでも雪がとけない冬。

昨日、
真冬の陽気のお休み。
今日やることを少しずつ来週にまわし、いや、通販にしてしまえ、
とかね、
ぬくぬくの布団の中でウヒヒッ! とやっていると、
南房総に引っ越したマツリカンからラインがきました。

『今日お休みだよね?』

『お休みです、まだ布団の中。こっちに出てきたの?』

『そうなの、夕方に寄りたいなぁ、と思って』

『じゃあ夕方までに人間ぽくなっとく!』

妖怪・寝癖よだれ、
じゃあ銀行まわりとかやってきちゃうか!
てな訳で起き出しました。

近くの銀行と、金町の郵便局と、東急ストア内にある百均と、ヨーカドー内にあるダイソー。
郵便局に行くにはビビッドの前を通るのですが、

ややっ!?

ビビッドの前、長机を2台出し、バッグの安売りを

…してる??

自転車が異様に速いマツリ子、確認しようと顔を向けたらもう郵便局

いいや、帰りに見てみよう。
にしても、寒くないのかな。
白髪の夫婦が
「…だなぁ」
「…よねぇ」
みたいにやってます。

東急ストアのキャンドゥで買い物をしていると、マツリカンから電話がきました。
彼女の『夕方』は16時だったようです。

「あと10分したら帰りまーす」

ビビッドの出店が頭をよぎり、

「あっ、15分かも

大人バッグの大きいサイズが欲しかったのです。

自転車を止めると、中に避難していた老夫婦が慌てて出てきてくれました。
バッグは1,100円コーナー、2,000円コーナー、2,500円コーナー?
いくつかありました。

1,100円ならお付き合いできます。

「大きいバッグが欲しいんです」
と言いながら、キリン柄の草色のバッグに目がいきました。
全然大きくない。
けど、いま持ってるバッグくらいは容量があります。

「これください、このままでいいんで」

そう言ったのですが、何やら奥様がもそもそやっているので、

「私、この裏にあったアジアン雑貨店をやっていた者なんです」

ああ!
とばかりにご主人が乗ってきます。

「いまは住宅街の中でお店やってるんです」

奥様も乗ってきます。

「やっぱり駅前の方が良かった?」

「いえ、たぶん売り上げ的にはそんなに変わりません。
強いて言えば、駅前は…」

口に手を添え、奥様に耳打ちしました。

「冷やかしが多かったです(ぼそっ 笑)」

「外からしか見たことないけど、あの品揃えは大変でしょう」
ってご主人。

「日本に問屋さんがあるんです。あと同業の先輩から珍しいの卸してもらったり」

と、ここで急いでいることを思い出し、

「お互い頑張りましょ!」

そう言って右手でガッツポーズを作ると、ご主人は「あはは」と笑いました。


1,100円。

今夜の夕飯に足りない食材を買えば消えてなくなる額。
利益なんて考えたら寒さの分だけマイナスになる。
自分たちの子供くらいのマツリ子に「頑張りましょ!」と言われたところで、そりゃ「あはは」しか出てこないや。

けど、
この寒さの中、外で売ってみよう、と頑張る老夫婦のその意気込みは
少しは報われたかな。
誰も振り向かない二人の会話に第三者が加わって、
少しだけ笑って、少しだけほっこりしてもらえたら、

今日もいい仕事できたな、って、
マツリ子本望であります!



誰もがきっとおのおの課せられた仕事がある。
ニュースになるような大きなことじゃなくても、
お母さん業、お父さん業、家庭の中のピエロ役、
何故かその公園のゴミ拾いをしてる人、悪ガキを叱るオヤジ(←やや化石)、
絶妙な焼き加減でレバーを焼く、サイダーバのパパは美味しいカレーを作る。

名もなき仕事はたくさん、
あるのですよ


※課せられた仕事=自分が自分に課した仕事。

何か胸に引っ掛かったモノがあれば、
それが何であろうと、それをやりとげ、そこだけ必死に守っていけば、
いいんだよ。

《マツリ子付け足しの巻》


Matulikomatulika33 at 17:16│コメント(2)

2017年11月17日

構想1時間、とりかかるまでに1週間、



昨日泣きながらポケットティッシュケースをこさえました、どーもマツリ子です。
ちっ。
まったくインスタ映えしない。 けど
100円(税込)


マツリ子のまわりで、
お子さんが高3って友達が何人かおりまして、
就職したり専門学校へ進学したり。
しかし必死なのは親ばかりで、当の本人はぽけーっとしとる。
そんなんで社会人やってけんのかな、まったく今時って!
と断定する前にぽよ~んと浮かんだのが
姉と弟。
あいつらもぽけーっとしてたなぁ。
あと30歳になっても母親にお弁当作ってもらってるOLとかね。
信じらんねー
って思った30年近く前。

いつの時代もぽけーっとしてる子はぽけーっとしとる。


音楽ビジネスの専門学校に進学したのは、高校3年間のバンド活動で
どうやら才能ないな
って気づいたゆえ。
今から30年前、バンドブーム、イカ天、とんねるずの『ギョーカイくんがいく!』、
世間は音楽業界が流行りでした。

ギョーカイ人にわしもなる!

ルフィのように臨んだ学校でしたが、
まぁ見事にクソだらけ。
人の話もきちんと聞けねえのか、と
入学式で嫌になっちゃいました。

音楽ビジネス学科は2つ。
他にSEやらいじる技術屋さん学科とか、
なんかたくさんありました。
私はビジネス学科のイベントプロデュースコース。
担任の先生は、髪は少し白髪混じり、スーツも明るいグレーばかりで、全身ねずみ色みたいな。
自己紹介で必ず『オー・ソレ・ミオ』を歌うらしく、私たちにも最初に披露してくれました。
上着の内ポケットに穴が開いちゃってて、いつもボールペンが変なところから出てくる。
たまに赤い顔して怒るけど、基本ニコニコしてるオペラのおじいちゃん。
そんな印象だったのですが、
もしかしたら当時40代半ばくらいだったのかもしれません。
下手したら40そこそこ。

うそん、イメージ還暦よ??


半端に音楽好きな、だらしない無気力なバカばっかりの学校が
わたくしいかんとも耐え難く!!
単位ギリギリ、遅刻ばっか。
仏頂面で過ごした1年。

どうしたもんかな。
何のためにここ来たんだ?

思えば人生初の大きな挫折だったかもしれない。
みんな死んでしまえー
とかね、ダーク過ぎる日々でした。
2年生の夏、
授業の一環でこのブログにも何度か登場している『阿Q』ってバンドに出会い、
人は愛でしか救われないことを知る訳です。

彼らの事務所に入りたい!

強く思い、
その日からあの手この手でじりじりとバンドに近付き、担任ではない、阿Qと繋がっていた先生とも仲良くなり、
もう枕のない枕営業みたいなもんよ。
自分をアピールする企画書を作り、
何度か門前払いをくらい、
それでも諦めきれない。
バイトでいいから入れて下さい!
なんつって半年後、
年が明けた1月末にようやくバイトの面接にこぎ着けました。
2月から仕事が始まったので、そのまま卒業式もバックレたのですが、
何日か登校して、卒業論文も書き終え、担任と面談する機会がありました。

私が面接を受けている頃、オペラのおじいちゃんは劇団四季の入団テストに臨み、見事合格。
おじいちゃんなのにすごいね、ってクラスが沸いた気がする。
あまり覚えていない、クラスのことは。

で、面談の時におじいちゃんに言われたのです。
「(劇団四季は)きみのお陰なんだよ」と。

音楽ビジネスの専門学校といっても、実際業界に進めたのはほんの数人。
の中でも私はレコード会社に入った訳で、
(阿Qの事務所はレコード会社内にありました)
レコード会社なんて、
そんなのもう快挙!
みたいに言われました。

就職したい先を夏に見つけ、断られても断られても様々な方面からアタック。
で、ホントにレコード会社に入っちゃった。

それを見ていた担任は、

夢は諦めなければ叶うんだ、
よし、俺も!

そう思ったそうです。


ぽけーっとしてる18歳たち。
何度も会社に電話を入れた30年前の私。
あの熱とともに担任が気になり、昨日軽くググってみました。

公演を2回は観に行きました。
そのうち舞台には出なくなり、
「もう年寄りだから役がなくて、団員の歌の指導をしてる」と聞いていました。

あった!
リトルマーメイドとかに出てる!

イメージ還暦のおじいちゃんは、そのまま計算すると80代になっちまう。
しかしググって出てきた画像はもっと若くて、相変わらずのニコニコ笑顔で、酒の席にいたりします。

歌をこよなく愛していたオペラ座の怪人、
無駄話ばかりしてる生意気な生徒を怒鳴るためにその喉はあるんじゃない。
だから、本当に良かったな、と思うのです。


松下武史先生。
そのうちまた舞台を観に行きます。

無愛想で、バイトも倉庫やビル掃除ばかりだった私が、
いまは雑貨屋さんやってます。
毎日笑顔で、常連さんにも可愛がってもらってます。

なんて知ったら、
きっとお祝いの曲を歌ってくれる。



Matulikomatulika33 at 15:19│コメント(4)