2018年09月27日

先日エホバの証人が訪ねてきて、
『夫にかける言葉、妻にかける言葉』
みたいな冊子を出し、

「良い話が書いてあります、良かったら」

という。
夫もいなけりゃ妻でもねー。
丁重にお断りした、どーもマツリ子です。

うちに来るなら1時間の説教を覚悟して来やがれ。


いま、福島の男友達が脳内出血で入院している。48歳。年男。
年男は厄年と変わらないから、今年のわんこ‌のカレンダー『生命の樹』を去年末に送っといたのだけど。

脳内出血なんて聞くと素人はビビるしかないのだが、血圧のコントロールで社会復帰できるモノも多く、友達もそんな治療を続けている。

去年の夏に遊びに行き、
なんだかあまり興味もなければ、友達もざっくりしか知らない徳川の誰だかの神社に連れていかれ、
その後は誘拐されそうなほど車を走らせ超うまい回転寿司をごちそうになり、
夕日を見ながら山道をのぼり、ひかれたタヌキの死骸を避けて山の上の温泉へ。
露天風呂は誰もいなくて、心地よい人肌湯で、あーここ(風呂内!)で1泊してえ~
と思ったほど。

ビジネスホテルに送ってもらい、翌日は那須の千本松牧場、アジアンバザール、他に雑貨屋もまわり、
帰りは黒磯まで送ってくれた。
ちょうど黒磯から通勤快速あたりの上野行きがあり、別れの挨拶も「じゃね、ありがと!」くらいで、走って電車に飛び乗ったっけ。

楽しい2日間だった。


地球の歴史の、僕らはほんの一瞬。

いつだかそんな記事も書いたのだが、そのライン相手も彼だ。
くだらない話から、政治や戦争や、
お互い暇な(笑)自営業だから、毎日のようにラインしていた。

送ったラインが未読のままで、心配していたら
『脳内出血』とだけ返ってきたのが先週の月曜日。
その3日前くらいまで元気だったのに。

『早く病院来て良かった!』

『ホント良かったよー!』

なんてやっていたのが、

『車イスになるかもしれない』

になり、
昨日かな?

『腎臓も病気らしい』と。

車屋さんで、塗装をするから=シンナー。
肝臓も悪いらしい。

『肝臓に腎臓にアタマも悪い (笑) 』
『生活すべて見直さなきゃ。仕事も変えるかも』

言葉を選び選び、希望を返すと、

一人娘に『何も残せないなぁ』って。


娘さんは19歳で、専門学校に通っている。

『それも通えなくなる』
『金かかるしなぁ』

私は親ではないけれど、マッシュ店長を娘のように育てたから、
マッシュを残して自分が先に逝くなら、やはり何かを残してあげたいと思う。
3食昼寝付きで、楽して生きていける方法。淋しくなく、たくさんの良い友達に恵まれますように。
とか。

友達の

『(娘に) 何も残せないなぁ』

を見て、涙が出た。
改めて親の思いがありがたい。

で、
そこで思い出したのが、
25年前にもなる、ビートたけしが主演したドラマ。

それは1985年に川崎市で実際に起こった事件で、小学5年生の男児が自転車でダンプカーと接触、市内の病院に救急搬送された。
が、エホバの証人を信仰する家庭ゆえ、輸血を拒否。
結局男児は出血多量で亡くなった。

そんな親っている!?
宗教がなんぼのもんじゃい!

そう憤慨した24歳だったマツリ子同様、『子供を見殺しにした!』と、事件当時、世論は非難の声でいっぱいだったそう。

たけし演じる父親は、大手スーパーに勤務していた。やりがいを感じていたが、働きづめの日々に小学生の長女が反発し、そこで初めて疑問を抱く。
本社の売り上げ至上主義に嫌気が差し、ついには退職。
エホバの証人と出会ったのはその後だ。

ドラマでは、
病院に乗りこんできた警官が

「信仰が人間の命より大事なのか!」

と叫んだのに対し、整形外科部長が

「人間は信仰のために死にもすれば殺しもするんですよ! いま世界中で、宗教の違いからどれだけの紛争や戦争が起きているか知っているのか!」

と言い返す。

この整形外科部長のモデルは病院の理事長らしい。
理事長もまたカトリック信者であり、

《どんな宗教であっても、自分が大事にしてると同じように、他の人達も大事にしている。だから、相手を尊重したいっていう気持ちがあった》

と、後の取材に対し語っている。


マッシュが亡くなる時、
この子が助かるなら外道に成り下がってもいい。
世界中からバッシングを受ける凶悪犯になってもいい。
そう思った。

助かる可能性のある命を、
輸血したら楽園で暮らせなくなる
とか、
他の信者を裏切ることになる
とか、

そもそも葛藤がある時点でおまえダメ!
って思う。

男児が亡くなった後、
楽園でまた一緒に暮らせる
という思いで、
一家はそれほど落ち込まずに済んだとか何とか。

楽園てなに?
見せてよ。

仏教にしても、
すべての説法は命ある人間が生きやすく、死に怯えることなく、って、
そんな思いやりからあるのだろう、と私は思っている。

その『生きる術』と我が子の命、秤にかける方がおかしい。
まず生きてなきゃ。
の上での『生きる術』じゃないの?

ドラマ内での部長のセリフ、

『人間は信仰のために死にもすれば殺しもするんですよ! いま世界中で、宗教の違いからどれだけの紛争や戦争が起きているか知っているのか!』

知ってるさ。
それが善か悪かと問われたら、確実に善ではないだろ。

相手の宗教も尊敬する、って、
それは必要。
けど、命が大事。四の五の言わず、屁理屈考えず、命がいちばん大事。

だいたいさ、
有名なチェーン店でバリバリ働いて、子供の言動で今までの生き方に疑問を抱いたのなら、

それが自分の教典にはならないですか?


マツリカが金町にあった頃、何度かキリスト教あたりが冊子を持ってきた。
1時間は説教をし、帰らせた。

私は私の人生、
ツラかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、
楽しかったこと、嬉しかったこと、
歩んできたすべてが私の教典なんです。
いわば『自分教』です。

ざっくり言うとそんな内容。

宗教にすがらなくとも、
あなたが歩んできた時間はとても貴重で立派なモノだから、
日々それを教典に、日々1ページづつ増やし、
そうして出来たぶっとい足場は、しっかりと頼もしく、常に自分を救ってくれる。
何が大切か、教えてくれる。


福島の友達が回復に向かうよう、ずっと祈っている。
もしかしたらまた出血するかもしれない毎日の中、娘の心配ばかりしている優しくて強い人です。
この記事を読んだ方にも、一緒に祈ってもらえたら、と思う。

人の念て、すごいんだよね。
それを私は信じて疑わない。
マッシュ店長の時に、教典に足されたページです。


Matulikomatulika33 at 16:10│コメント(0)つれづれ物語 │

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