2018年10月04日

先日、命日年表みたいなモノをメモにしてみた。


2007年7月14日 金町マツリカオープン

2007年10月末~ マッシュ店長闘病

2008年1月30日 マッシュ永眠

2009年1月初旬  ウガンダ旅行
                             ※ 帰国するやママちゃん介護

2010年9月17日 ママちゃん永眠

2014年9月21日 あねご永眠

2015年1月24日 じいさん永眠

全然タッチしていないけれど、2014年7月末に義兄も亡くなってます。


ね? 呪われた金町時代でしょ?

このメモから、
私が江戸川河川敷に通っていたのは、2010年10月~の3年くらいと思われる。2014年になる少し前からじいさん介護が本格的に始まっていたので。


22時に閉店した後、あの信号の短い五差路を渡り、肉まるを通過し右手に珍来を見ながら左折する。
とうきゅうストアの裏の広場を斜めに横切り、飲み屋やカラオケやTSUTAYAやネカフェや、ぐちゃぐちゃしたあの一角も適当に斜めに進む。
南口、線路の向こう側に出てもさらに南、水戸街道を目指す。
そこも渡り、ひと気のない暗い小路を少し行くと、土手にあがる階段がある。

『江戸川サイクリングロード』。

夜でもウォーキングする人もいて、街灯で明るい。

土手の上に出たら舗装されたキレイな道を右手に進む。
数十メートルで見えてくる『私の椅子』。
草むらに2歩くらい入った場所に、何かの台なのか、腰かけるのにちょうど良いコンクリートの『椅子』がある。
そこにヨイショと腰かけて、振り向くように左手を見る。

水戸街道の向こう側、
常磐線と千代田線の線路が並ぶ。

鉄橋を渡る時の独特な音と、暗闇に浮かんでは走り去る明かり。
それをぼんやり眺めるのが好きだった。

時にはケータイミュージックなど流し、ボロボロ泣きながら、0時過ぎまでそこにいた。


5分でも早く布団に入る今の生活とは、雲泥の差。
太陽と月みたい。

金町の日々を懐かしく感じたのは、この夏、ときわ食堂にお邪魔した時。
そうだ、
あの頃は毎日この街中を歩いて、「お疲れっすー!」ってあちこちのオーナーに手を振っていた。
ざわざわとした喧騒、酒のにおいと笑い声。
ロンドのような酔っ払いをするりと避け、うつむきがちなサラリーマンが、駅の方から足早にカツカツ歩いてくる。

いくつものドラマがごっちゃになっていた。
そのすべてが輝いて見えた。

雨が降れば外を10歩くらいしか歩かない『いま』。
20時閉店の後は、夕飯、TV、後片付け、シャワー、
で、0時には寝るようにしている。

そんな生活をつまらなく感じる時が、最近ある。


昨夜、
サーモンの切身にダイブして溺れ死にたい衝動に駆られ、閉店後にはま寿司へ自転車を走らせた。
平日なら一皿90円。
よし、11皿いこう!
カウンター席で予定通り11皿を平らげた後は、そのまま西へ。
中川を渡って足立区に入り、環七沿いにあるマクドナルドへ、スマホを操作しながら入った。
auユーザーゆえ、三太郎の日でダブチーがもらえる。
とんでもなくやる気のない店舗だったので、ダブチーだけもらって帰ってきた。
また中川を渡る。
ここから見る景色も昔から好きだ。

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飯塚橋は計算ミスで高く作ってしまったらしい。あねごが教えてくれた。
言われると、土手にあがるよりも階段が上へと続く。

橋の中程に、踊り場のような場所があり、そこで一息つきながら川を眺める。
昨夜はそれが夜景になった。

写真を撮りながら、ふぅ、っと息を吐く。

はま寿司目当てで自転車に乗った訳じゃない。
サーモン3皿食べたけど。
ダブチーが欲しくてさらに西に進んだ訳じゃない。
美味しかったけど。


今さらながら、金町がなつかしい。



Matulikomatulika33 at 16:14│コメント(0)つれづれ物語 │

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