2018年12月31日

前回記事で今年をふりかえっちゃったのだが、
まぁ大晦日なんで。

※大掃除は明日やるよ! てか『掃除』かな? 普段しないから


68歳の同業の先輩は、マツリカを始める前から私が好きで通っていたお店なのだが、
同業者となり、仕入れに行くようになってから、何かと話が合うことに気づいた。
行けば何時間と話し込む。

その先輩の言葉を2018年の最後に紹介しよう。

「みんなね、期待し過ぎなんですよ」。

それは、
たぶん生き易くなる話。

先輩の御近所さんで、自転車をくれるというお年寄りがいたらしい。
先輩の自転車はボロボロなので、そりゃ嬉しい!と楽しみにしていた。

「もう2ヶ月は前の話ですよ」

と先輩は笑った。

「きっと忘れちゃったんですよ」って。

人に期待をし過ぎると、
くれるって言ったのに! となる。イライラしたり、嫌な気持ちになる。
だから先輩は期待はしない。
くれたらありがとう、くれなくても気にしない。

これは親子でも通用する話だし、自分自身にも当てはめることが出来る、と私は思った。

期待しない。
なにやら淋しい響きなので、
『良い意味で期待しない』
としよう。

散々悩んで考えた20代。
泣いた人ほど、30代は良い意味で開き直れる。
それを『三十路マジック』と呼び、悩めるマツリカンに話してきたのだが、
先輩の『期待しない』もそんな感じ。

誰かに何かをしてあげたのに、という考え方は、相手に期待満々。
じゃなく、
自分がそうしたかったから したんじゃねえの?
そう考えたら何も期待はしないし、腹も立たない。(←秋くらいに記事にした、たしか)

自分自身に対してなら、

こうあるべき。
こう出来るはず。
出来て当然。

↑↑↑↑↑

期待し過ぎにも程がある。

理想ってのはたしかに大切。理想があるから目標を決められて、何かを頑張れる。
が、
その前に、

自分はそこまでの器か?

そこしっかり把握しとかなきゃいかん。
お猪口(ちょこ) に白飯よそおうとしてないかい? てな話。

自分を把握→お猪口はお猪口の仕事をする。

これが、
あれこれ悩んだり拗ねたりいじけたりしないで済む 生き易い『良い意味での期待しない』である。


もちっと突き詰めると、、、

私はいつも優先順位で考える。
大晦日に大掃除をするより、店のブログを書くことの方が大事。休みは3日あるので、掃除は明日でもいい。
個人的にやっているブログ的場所もあって、そこにも書きたいことはあるのだが、
それよりまず『MATULIKA Rhythm』。
だから今、書いている。

優先順位で考えた時、

どーーーしても!!
これだけは譲れん!!

てのがある。
そこ譲っちゃったら、私は私を嫌いになる。
って、
そのくらい大事にしたいことって、よく考えたら1つくらいよ。


分かりやすく具体例を出そう。

私が今守りたいのは、じいさんが残してくれた実家。
マツリカじゃなくて申し訳ないのだが、
じいさんが棟梁として建て、職人として生きた証。
その家だけはどうしても守りたい。
それが守れているなら、
マツリカがなくなっても、どんな貧乏をしても、
すまん、どうでもいい。

と、最優先を確認できたら、
たとえばその家に住んでいる人がクソでも、見ないふりができる。

住人と仲良くしなくちゃいかん ← どうでもいい。

以前は仲良くしなくちゃいかんと思い込んでいた。
が、どうしても、
好きか嫌いかで言ったら好きではないのよ。
好きではない人と仲良く、って、そりゃ苦痛だし、
仲良くが苦痛だから、よけい怒りで震えたりする。

家が守れているのだから、
それだけでいい。
仲良くはしなくてもいい。

そう気づいたら、とても楽になりました。

仲良くする必要もなければ、憎む必要もない。『クソ』ってカテゴリーからも外れる。
だから、
会えば笑顔で話をする。

そこに以前ほどの痛みはない。


という訳で、

最優先だけ出来ていれば、あとは期待しない。

相手にも自分にも。


意外と考えることの多かった2018年ですが、
最後に辿り着けた感。

色々あるだろうよ。
もうそりゃ色々。1人1人みんな違う色々が。

けど、
こんな風に考え直してみたら、
ふわっと気持ちが軽くなる ハズ。


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Matulikomatulika33 at 18:03│コメント(0)つれづれ物語 │

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