2020年08月08日
たしか5月の末、
「給付金入ったから♪」
って、弟が根本の鰻重をごちそうしてくれた。
※水元公園の先、三郷市にある川魚 根本さん
で、今日はお返しに わたくしめが
鯉のあらいも食ってやった!
きれいなお重だー
うっほ!
ふわっふわ!!
弟は厳しいので、
「中でお待ちいただいても」と店員さんに言われても
「中 (店内の待ち合い処) は密だ」
チラッと覗いてボソッと外待機。
4人掛けのテーブル席ではもちろん斜め向かいに座り、鯉のあらいの酢味噌も「二度づけ禁止」。
2人してアルコールスプレーをテーブルに出し、お手拭きの後にも シュッシュッ!
習慣づいちゃってるので特に何も思わない。
ただただ鰻が旨い!
よそのテーブルを見ても横並びだったり、ギリギリまでマスクだったり、
お客さんが帰れば店員さんもテーブルをシュッシュッ! とするし、
ホント慣れちゃえば何も苦じゃない。
鰻重にうっほうほしていると、出入口にいちばん近いテーブルに60代後半と思しきご夫婦が座り、とても嬉しそうな様子で注文をしていた。
旦那「大盛り、2つ!」
店員「大盛り、いっちゃいますか?」
旦那「じゃあオレだけにしとくか!」
奥様「いいわよ、大盛り2つで」
店員さんも含め、3人ともとても楽しそう。
※その店員さんは実はマツリカン (笑)
少しお洒落した黒ずくめの奥様とは対照的に、旦那さんは野良仕事から戻った格好に近くて、
きれいな新館で営業する根本さんで少し浮いていた。
勝手に農家さんにしてしまうが、
作ってるのもキャベツではなく、玉ねぎやじゃがいもや、より土に触れるような、そんな格好。
前澤友作の20年後みたいな猿顔で、その顔をくしゃくしゃにして、本当に嬉しそうで、
見ていたらなんだか泣きたくなった。
私からしか見えない席なので、弟にざっくり話し、
なんか良い夫婦だね、こっちまで嬉しくなるね、って。
ご夫婦は『お年寄り』と言うには若いのだが、だからうちのじいさんとママちゃんに比べたら申し訳ないのだが、
「うちのお父さんもお母さんも、もっと長生きして、健康で、あんな風にあちこち美味しいモノ食べに出掛けられたら、
そしたら良かったのにね」
弟は黙ったまま頷いた。
楽しい思いはしたと思う。
美味しいモノもたくさん食べた。海にも温泉にも行った。
楽しかったから、ママちゃんは亡くなる前夜に「まだみんなと暮らしたい!」って号泣したんだ。
けど、最後の7〜8年かな。もっとかな。
在宅酸素療法で、常に酸素ボンベ担いで移動して、
だから2人で自由にご飯に行ったり、旅行も長野の姉の家に行くくらいで、
あのご夫婦みたいに心から楽しい時間は、あまりなかったように思う。
うちは家が大きいというだけで近所や親戚からやっかみを受けていたが、
じいさんもママちゃんも海外旅行なんて行ったことがなかった。
じいさんに至っては飛行機すら乗ったことがなかった。
新幹線で京都に行った時は緊張するほどお洒落して、
京都に行った時の話を何度もして、
質素に質素に暮らしてきた。
せめて鰻くらい、
こんな近くに美味しい鰻屋さんがあるんだからさ、たまに来られたら良かったね。
火気厳禁の酸素ボンベ、いつも細心の注意を払って、
どこにも行けなかった。
鰻重を食べ終え、追加で注文したお新香の盛合せをつまみながら、
あのご夫婦に『大盛り』が届くのを待っていた。
なんたって大盛り、
こんなんだから (笑)
驚きながら笑う顔を見たかった。
あのご夫婦に両親を重ねていた。
「おおっ!? すごいな、これぇ!」
じいさんなら絶対そう言って顔をくしゃくしゃにする。ママちゃんもやっぱり驚きながら、けどとってもしあわせそうな笑顔になる。
鰻重がきた。
大して驚いた様子はなかったので、何度も来ているようだ。
が、相変わらず いい笑顔。
それを見届けて店を出た。
水元公園の中を歩いて帰りながら、
「小学校1年生だったかな。大人の自転車買ってもらって、自転車持って水元公園に来たんだよね。
じいさんに『後ろ押さえててやるから乗ってみろ』って言われて、補助輪のない自転車ね。
30メートルくらい走ったら後ろからじいさんの笑い声がして、じいさん、押さえてなかったの。で、『こげんじゃねえか!』ってゲラゲラ笑っててさ。
やりそうでしょ?」
「僕はね、無理矢理キャッチボールさせられて、ボールがおでこに当たって泣いたら怒られた! 『そんくらい取れねえのか!』って、おもろない!みたいに帰っちゃって」
じいさんやママちゃんの昔話をしては、
顔は笑ってるけどしんみりする。
けどその時間が、
私はとても好きだ。
matulika33 at 21:36│