2020年08月10日

ブログを読んでくれている方が毎日5人〜、多いと20人程いらっしゃるのだが、
その中でマッシュ店長を知っている方は私はゼロだと思ってる。

20-08-09-21-38-36-531_deco
※我が家に来たばかりの頃。


マッシュは高州マツリカ時代の3年3ヶ月、私と一緒に出勤していた。
三輪自転車の後ろのカゴを改造し、マッシュを座らせ、
水元公園まで。
空気の良い緑の上で30分〜1時間散歩し、それからまた自転車で高州の店に向かう。

自転車をこぐ私からマッシュの様子は分からないのだが、
出勤途中を目撃したというマツリカンによると、
キョロキョロしたり、鼻をフンフンさせたり、優雅に過ごしていたそう。


ブログの訪問者数は上に書いた通りなのだが、たまに100以上の記事を読んでくれる方もいて、
どの記事を読んだかも分かって、
もうすっかり忘れていたことだったりすると自分でも読んでみるのだが、
マッシュに関してはなかなか読めずにいた。

ブログは金町マツリカから始まっていて、マッシュが金町に出勤できたのは3ヶ月あまり。

10月もそろそろ終わるって頃のある晩、急に尋常でない呼吸の荒さとなり、翌朝弟が病院に連れていった。
江戸川区の動物病院でずっとお世話になっていて、その頃、弟とはあまり仲が良くなかったので、車の運転が出来ない私は留守番となった。

余命数日と言われた。
隙間がないほど、肺に大きな腫瘍が4つあり、肝臓も真っ白、腹膜も真っ白、
レントゲンにきれいに映ってるのは腸くらい。
三輪自転車で通える金町の動物病院に転院し、酸素の機械もレンタルし、
それから3ヶ月、マッシュの闘病生活は続いた。

ブログにはその時の様子がぽちぽち書いてある。
読み返すのはとてもツラかったり、けど愛おしい時間だったり。


闘病中、高州マツリカンや金町の新しいマツリカンが、
「店長、大丈夫?」って、マッシュをとても心配してくれた。

マッシュがお星様になった2008年1月30日。

恩返しのつもりでガムシャラに働いたその年は、
なーんにも覚えていない。
ただ、ブログを見ると、
マッシュが家ではどんな子だったか、小さい頃の写真とか、
みんなが見られる小冊子を作る宣言をしていて、
やっぱり無理だ宣言もしていて、

そりゃ無理でしょうよ。
生きてるだけで精一杯だろうに。

なんて、
12年前の自分を労りたい。


つい最近、
マッシュがどんな風にお星様になったか、軽く話したそのお相手は、

「どこの病院通ってたの?」

若干食い気味に聞いてきた。
健康診断もしていたのに、腫瘍に気づかなかったのか?
という意味だと思った。

ママちゃんが亡くなった時も、
ママちゃんの友達が「薬の量、多かったんじゃない?」ってつっこんできた。
ママちゃんは亡くなる2日前から少し精神が混乱し、
お世話になっていた精神科にじいさんが薬だけもらいに行っていた。

マッシュもママちゃんも、
それは医者のせいではなくて、
仮に腫瘍を発見出来ていて、手術も出来ていたとしても、
大型犬は生きて14〜15年。
ママちゃんは71歳になる4日前に亡くなったが、体はもう限界だった。

それは寿命ってヤツなんだ。


マッシュがお世話になった病院に、亡くなった後にお手紙を書いた。

お星様になりました。
今まで大変お世話になりました。』

すぐに丁寧なお返事が届いた。

マッシュは病院が怖くて、行くと抱っこか、もしくは待合室がガラガラの時は長椅子に一緒に座っていた。
診察受けるの私じゃありません
てな顔で。

やさしくて、面白くて、ママのようでもあり、けど確実に私の娘で、
自分をイヌだとは思ってなくて、なんなら表札を『マッシュ』に書き換えそうなほど『家族』で、
家族の中心で、
マッシュの素晴らしくやわらかな毛も、耳や口のまわりや肉球やオナラのニオイまで、
全部覚えてる。


ブログを読み返し、ぐちゃぐちゃに泣いて、
つくづく思うのは、

もう誰も見送りたくない。

ママちゃんの友達もそんな気持ちだったのだと思うが、
やっぱりそれは誰のせいでもなく、何かのせいにするのは逃げで、
逃げるのは、
懸命に生きた命に申し訳ない。


Matulikomatulika33 at 18:10│