2021年02月13日

友達がイラついている。

初めて彼氏ができた19歳の娘。
彼氏の誕生日にプレゼント渡してないとか、明日バレンタインデーなのに何も用意してないとか。

私たちは専門学校のイベントプロデュースコースで知り合ったので、2人ともイベント好き。
好きだから余計やきもきするんだろうな。

友達とラインしていて、
思い出した。


姉が急に結婚を前提とした彼氏を連れてきて、
立派な家から嫁に出したい、って、今の実家を建てた。

その年、高島易断ではじいさんは家を新しくしちゃいけなかった。

高島易断すげえな、と思ったのは、
その家に引っ越してからじいさんとママちゃんの仲がおかしくなった。

私は高校2年生だった。

年中いがみ合っている家に帰りたくない日もあり、
あの頃 部活 (ギター) に夢中になれて本当に良かった。
部活が楽しくて楽しくて、今死にたい!
と思うほどだったが、
部活仲間には

「家庭環境悪いだろ」

って言われた。
フォークソング同好会は家庭環境が悪い不良が多かった。

見た目優等生。
実は斜に構えてる。

そんな子が多かった。
そんな子に「家庭環境悪いだろ」って言われたってことは、
私もよほどねじ曲がった顔をしていたんだと思う。


いがみ合いの日々が1年半続き、
ママちゃんは子宮癌を患った。
専門学校の入試や、入学金の準備や、自分で出来ることは自分でやり、早く帰れる日は夕飯も作り、週に何度か入院先に洗濯物を取りに行き、
ママちゃんの入院をきっかけに、家も落ち着くと思っていた。

ママちゃんが退院してきてからのじいさんは、もう狂ってるとしか思えなかった。
とにかくママちゃんが気に入らなくてしょうがなかったようだ。

女には手をあげない。
を頑なに守ってきたじいさんだが、手をあげる代わりにある夜 灰皿をぶん投げてきて、
その灰皿は私が小学生の頃にどこかのお土産で買ってきたモノで、
柱に当たって粉々に割れてしまった。

それを見たママちゃんは何度も頭を下げて、私には「二階に行ってなさい!」と言った。

あの時から、

ママちゃんは常にじいさんに気を使っていた。
それでもじいさんの言葉の攻撃は止まず、どころか、まったく容赦なかった。

手術したギズ跡を泣きながら自分で消毒しているママちゃんが可哀想で、
あの頃 何度じいさんに食ってかかりそうになったか。
すべてママちゃんに止められた。

母親の涙ってたまんない。

地獄だと思った。
今でもあの時期は『我が家の地獄』だと思ってる。


高校3年の秋〜冬は、
本当にひどかった。


高校3年の冬休み明けから
私は自動車教習所に通い出した。
そこで、
ギリシャ彫刻みたいなイケメン教官に恋をした。

バレンタインデー。

うちにクルミがあったので、
クルミの入ったチョコを作ろうと思い立った。
その夜。
記憶がまた欠落しているのだが、
ママちゃんはおらず、
なんだろ?
体調崩して寝込んでいたのかな?

とにかくじいさんしかいなかったし、
私は1人でキッチンでクルミと格闘していた。
そこにじいさんがスッとやってきて、
めずらしく静かに「こうやるんだよ」ってクルミを割ってくれた。
「どれ、かせ」って、全部割って、中身をキレイに取り出してくれた。

地獄の日々からほとんどじいさんとは話をしていなかったし、
ママちゃんの涙を許してはいなかったので、
言葉少なにクルミを受け取り、チョコに混ぜ込んで完成させた。

たぶん、
なんか色々あったんだろうな、
ってのは、だいぶ大人になってから思った。
夫婦にしか分からない何か。
うまく言葉に出来ず、ママちゃんに当たるしか出来なかった。
割れた灰皿を見て泣きながら部屋に籠もった私にも、
悪かったな、って思ってたんだろうな。


高校3年の最後のバレンタインデー、
じいさんが割ってくれたクルミ。
初めて手作りしたチョコ。

教官は受け取ってくれなかった。

なんか笑っちゃった。


 
ちなみに姉。

「なんか気持ち悪い」って彼氏と別れ、嫁に行ったのは立派な実家を建ててから数年後のこと。

とんだトラブルメーカーだ。

Matulikomatulika33 at 21:19│