落瀬学

2018年11月17日

今日はおっちーの誕生日。


※おっちーについては2011年11月に記事にしてあって、しかし数字をかなり間違えていた。


おっちーは、千葉では有名なベーシストで、明日本八幡ルート14で『落瀬学presents 極楽 A GO-GO』という追悼ライブが催される。
いつかは行かなきゃ、と思いながら20年が過ぎた。

あの時私は29歳で、5つ上のおっちーは34歳。
になる少し前の11月9日、亡くなった。

永遠の33歳。


21、22歳と勤めたレコード会社で、

「イカ天バンドがうちからデビューする!」

って聞いたのは、22歳になる年の1月だか2月。
販売促進の仕事をしていたので、もちろん先に音源はもらえる。
阿Q目当てで入った会社で、もう阿Qは解散したんだと知り、糸が切れそうになっていた頃だった。
そのイカ天バンド・BELLETS (ベレッツ)の曲を聴いた瞬間、強力なニンニク百倍注射でもされたよう。アドレナリンが駆けめぐり、

早く!
早く何かしなくちゃ!

あの年、1991年は、BELLETS一色だった。

上の人が考えたキャッチコピー的なモノじゃ、レコード屋さんの邦楽担当は動かない。
これだよ! って、自分で作ったチラシには、おっちーの歌詞の一部を書いた。

『働けば夜 眠れば朝』

雑巾みたいに使われるサラリーマンの気持ちを、こんなに端的にあらわせるなんて。
ハッとした担当者はたくさんいて、その場で店内で曲を流してくれた店も多かった。

おっちーは天才だと思った。
こんな才能が埋もれてしまうのは、私はヤダ!

必死に動いたものの、
2月に発売したデビューアルバムのセールスは伸びず、BELLETSの『次』はない、という結論が早々にくだった。
それを彼らに

「言える訳ない」

というディレクターに何度食って掛かったか。社内で孤立したって、私はBELLETSの味方であり続けた。

けれど、
'91年が終わる頃、会社自体が消えること、BELLETSのセカンドアルバムはないこと、
それを知ったバンドは、
どうしたって会社に不信感どころか、『敵』になるよね。
会社の人間だった私も『敵』と見なされた。

彼らをどうにかしたかった。彼らに付いていたかった。
けど、『敵』は身を引くしかなくて、だから最後に彼ら4人それぞれに同じ内容の手紙を書いた。

あなたたちが淋しい時、独りぼっちの時、ツラい時、困った時、
私は必ず力になるから、必ずなるから、頼って下さい

と。

おっちーが返事をくれた。
おっちーは色んな細かいあれこれを、ちゃんと分かってくれていた。


数年が経ち、BELLETSが解散したことを知った。
そしておっちーから電話がきた。

「いま安井のバンド、手伝ってんだよ。よかったらライブ来てよ」


※安井というのは、千葉の暴れ馬で、今でも『つれづれ草』というバンドで活動している。


ライブに行った。

久しぶりに聴くおっちーのベース。相変わらずブリンブリンとしているが、活きの良い魚みたいな姿が見られないのは、助っ人だからなのか。
仕方ない。
が、
ライブが終わり、打ち上げの話になった。
そこでメンバーから、

「学さん、打ち上げどうします?」

浮かれた声を抑え、丁寧に聞くメンバー。
おっちーは少し年上だし、BELLETSは千葉では王者だったし、メジャーデビューもしているし、
という気遣い。
おっちーは打ち上げを「今日はいいや」ってカッコよく断った。

なんだよ、
おっちーあんた、

独りぼっちじゃねえかよ!!

『安井が新しく始めたバンド』にはスタッフがまだおらず、
私はおっちーに「スタッフやりたい!」とお願いをした。
25歳の頃だった。

それから3年、スタッフとして主に新聞を作って配った。
ライブに行くと、今日の新聞を楽しみにしてくれているメンバー。年上など関係なく、新聞でおっちーをいじる。他のメンバーが笑わない(笑えない)中、おっちーが赤い顔して涙流して笑ってくれた時は、
心の中で小さくガッツポーズをした。

『安井の新しいバンド』がどんどん大きくなって、そのステージが眩しくて眩しくて、見ていられなくなった時、私はスタッフをやめた。
あのライトの下に自分も立ちたいと思ったのだ。

小説家になりたい。
書くためにスタッフをやめたい。

そう言う私に、おっちーは言った。

「お前はこんなとこで埋もれてちゃいけない人間だ」

って。
涙が出た。
「お前は」、「は」。
その言葉にどれほどの痛みと涙と絶望がこもっていたか。
埋もれちゃいけないのはおっちーの方なのに。

2年後におっちーが急死するなど思いもせず、ひたすらに本を読み、ひたすらにワープロに向かい、
おっちーに良い報告が出来るように、と。


通夜に行った。
たくさんの人が泣いていた。
御焼香はいつまわってくるのか、と思うほど、たくさんの人。
ベスパが置かれ、ベースもあったかな。
覚えているのは、
いつもステージの左端、ライトの当たらない陰の場所で、まるで歌うようにベースを弾いていたおっちーが、
今日は真ん中にいる。
なんだか、おっちーが照れているような気がした。
御焼香がまわってきて、近くでおっちーの顔を見る。
うすら目を開けたまま、まるですぐに起きてきそうな。

ねぇ、おっちー。
なに寝てんの?
鼻に詰め物してさ。

レコード会社の面々も会場に来ていたのだが、誰とも喋らず、ひとりで帰ってきた。

千葉の、人影まばらな殺風景な駅のホーム。冷たい風がひとつ吹いて、このままホーム下に飛び込んだら…
なんて頭を過ったが、
電車はなかなか来なかった。


心臓発作で他界したおっちー。
いつか自分のこの心臓も、止まる時がくるんだな。
その時を思うと、急に動悸がして、

やばっ、死ぬ!

そんな夜も何度もあった。

BELLETSのメンバーを実家に招待して焼肉パーティーをしたことがあった。
だからじいさんもママちゃんもおっちーを知っていた。

「淋しそうな子だね」ってママちゃんは言っていた。影があるね、って。
おっちーの急逝に、じいさんは
「可哀想になぁ」って、何度も繰り返した。


大切な友達を若いうちに2人亡くしている。
おっちーはその1人目。
おっちー亡き後、それまで以上に書いた。

お前はこんなとこで埋もれてちゃいけない人間だ」

あの時の言葉。
有名になってやる!
小説家になって、いつかおっちーの話を書く!

そのがむしゃらは、
それから1年半後の、2人目の友達の死でぽっきり折れるのだが。



『落瀬学追悼ライブ』は2010年から名前を変え、
『落瀬学presents 極楽 A GO-GO』となった。
馴染みの仲間が集まる。

2人の友達を亡くして、そこにどんな意味があるのか。
ひとつ、
会いたい人には会いに行こう。
好きな人にはその想いを伝えよう。
そう肝に命じた。

明日死んでも後悔ないように、と。

暴れ馬の安井ちゃんも50歳を過ぎた。
ライブを見ておいた方がいい気もする。
安井ちゃんも大切な友達だから、そろそろ見なくちゃいけない気がする。
けど、
ママちゃんに続いてじいさんが亡くなり、お墓参りに行けなくなったのと同じように、
私はいまだ千葉の仲間のライブには行けていない。追悼ライブなんて絶対行けない。

あの街におっちーがいない、ってことを、思い知らされるだけ。
ライブを見ても
おっちーのベースじゃない、って泣くだけ。



米津玄師の『Lemon』が気になり、レコチョクで買ってしまった。
買ってから歌詞を読んだ。



あの日の悲しみさえ  あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに

胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光



傷はまったく癒えなくて、
もう誰も見送りたくなくて、
今でも涙が止まらないけど、
それでもおっちーに出会えたこと。
同じ時代の同じ土地の、
星の数ほどいる人間の中、たった1人のおっちーに出会えたこと、
ツラいけれど、嬉しいんだ。
こんなにツラいなら出会わなきゃ良かったなんて絶対思わない。
だから
命日よりも誕生日を、って思う。

今でもおっちーは私の光。


Matulikomatulika33 at 15:19│コメント(0)

2011年11月10日

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立冬から急に寒くなりますます肉を重ね着中のどーもマツリ子です。
…いや、ウンコが出ないだけって説でお願いします。

デブでも寒さは感じる訳で、
…あっ!!
と気付きました。
先日仕入れてきた綿入りジャケットとパンツのお披露目をしてねー!!
ε=ε=┏(;`皿´)┛
ジャケットは画像以外のデザインもあり3400円がメイン。パンツなんか2000円だもんね、セール価格だよね~。
いつものごとく1点仕入れなんでお早めに~!
(*^o^*)

さて話題はがらりと変わります…

11月9日は大切な友人、おっちーの命日だった。
…ってことをこれまた大切な友人から聞いて思い出した。
おっちーの誕生日は11月17日。あと1週間程で35歳になるという時の突然の別れから今年で12年…。

おっちーはバンドマンでありベーシストだった。
出会いはとっくの昔につぶれたレコード会社で、私はスタッフサイド。
その会社で、所属アーティスト&スタッフ全員のレコーディングという企画があった。
千葉の海っぷちにある豪華なスタジオで、たしかまだ肌寒い春だったな。
今と違ってテンションどん底の20代マツリ子、大勢でわいわいが耐えられずいちばん端にあった小さな休憩室でずっと海を見ていた。
数人が出たり入ったりの休憩室。
おっちーは自分のレコーディングが終わると入ってきて、そこにあったソファーに横になった。
「お疲れ様です」もなく無言でただ海を見続けていた私。ソファーで一眠りのおっちー。どちらも無言。
結局全員のレコーディングが終わるまで1日中ずっと体勢を変えずにいた私に、後ろでモソモソ起き出したおっちーが近づいてきた。
「海が好きなの?」。
当時おっちーは神経質で口数少なくコワイ存在だった。
だけど、
「海が好きなの?」
その言葉はとても優しい響きで、本当は1日中淋しかったことを見透かされたような、そんな気がした。
質問にも答えない私に
「オレも海好きだな」とおっちーは笑った。
その時から私にとっておっちーは大切な大切な友人になった。
この人が淋しい想いをしている時には必ずそばにいようと、力になろうと、そう決めた…

おっちー
今は淋しくないですか? アナタも淋しがりやだから心配です。



Matulikomatulika33 at 09:29│コメント(4)トラックバック(0)